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江戸時代から明治にかけ、日本海の海運にて活躍した北前船。米をはじめとした物資の輸送から発展し、多くの富を得ていた。福井県内には4つの寄港地があり、それぞれ当時の面影を残す町並みや船主屋敷が数多く存在している。
敦賀は越路の起点として、天然の良港として発展してきた港町。古代から北国諸国の官物輸送の拠点となっていた要津であり、渤海使の受入や宋船との貿易など、大陸との交流記録もある。
現在につながる敦賀のまち、湊の繁栄の基礎は豊臣政権期に形成され、大谷吉継がその差配を行っていた。この吉継の下で徴用されていた、敦賀の初期豪商により、江戸時代に入ってから敦賀湊は隆盛を迎えた。
北前船が敦賀に登場するのは19世紀に入る頃からで、多くは船荷問屋から派生して海運業にも携わった。敦賀港は明治以降、国際貿易港として発展を遂げるが、そこにはこうした北前船主たちの活躍があった。
敦賀に残る北前船の名残の中でも、特筆すべきなのが「昆布の手すき加工技術」で、全国シェアの80%を占める特産品。また「洲崎の高燈籠」や「鰊蔵」、「疋田舟川」の遺構がある。
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南越前町河野は越前海岸の南端、敦賀湊のほぼ入口に位置し、古くから府中(現在の越前市)と敦賀を結ぶ中継地として栄え、河野・敦賀間の船稼ぎに従事していた。
江戸時代の半ば過ぎ、商品流通の発達に伴い日本海海運は飛躍的に発展を迎えた。北前船の買積み商いは活況を呈し、船主たちはこのチャンスを生かし大海原に進出。幕末から明治時代にかけて日本海沿岸有数の北前船主を輩出した。
このように、かつて廻船を生業としていた南越前町河野には、北前船主を代表する右近家や中村家といた船主邸や、船頭・水主(かこ)の家並みなど、往時の繁栄を色濃く残す独特の景観や建築様式がみられる。この邸宅や蔵が建ち並ぶメインストリートは「河野北前船主通り」と名付けられた。
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福井県坂井市・三国湊が平成30年5月24日、「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船の寄港地・船主集落~」に追加認定された。
竹田川など、大きな川が合流し、九頭竜川となり日本海に面する川湊で、その名は平安時代の歴史書である『続日本記』にも記載されるなど、古くから知られている。また、室町時代の日本最古の海商法規である『廻船式目』では、三律七湊に数えられ、川と海による物流・経済の要所、日本海側の港湾都市として繁栄した。
今回は江戸~明治時代にかけて、北前船によって繁栄した、三国湊を支えた19件の歴史文化が日本遺産の構成文化財として認定されている。
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かつて湊町・小浜は、日本海沿岸各地とつながる「海の道」として、物資や人、文化が集まる一大港湾都市であった。大きな交易利得を誇った小浜湊は、歴代の国主や廻船業で栄えた豪商たちのもと、北方交易の人々も加わり、国内外との盛んな交易や文化交流が展開されていた。
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郷土の偉人・大和田荘七が昭和2年に建てた、旧大和田銀行本店を活用した博物館。当時の敦賀港の繁栄を象徴するような豪奢なつくりで、北陸で最初のエレベーターや大理石のカウンター、銀行当時から残る大金庫など、建物そのものも見どころ満載。
「みなとつるが山車会館」は、氣比神宮例大祭の際に曳き出される勇壮華麗な山車を収納・展示しており、山車を飾る武者人形に付ける鎧や兜、能面などの展示室があります。
祭りの様子を紹介する大画面のスクリーンシアターでは、迫力ある映像で敦賀の歴史と伝統、祭りの臨場感を味わっていただけます。また、旧大和田銀行の初代社屋を活用した別館には、北前船の模型など、敦賀の歴史関係資料や「敦賀城主 大谷吉継」の展示コーナーがあります。
昆布の流通拠点・敦賀にある「昆布館」。料理に欠かせない定番の昆布製品や、昆布たっぷりの調味料をはじめ、人気の昆布菓子、佃煮など約200種類のここでしか手に入らないオリジナル商品も販売。自動給湯機で、「昆布館」のおいしい昆布茶も無料で味わうことができる。
江戸時代後期の北前船交易の中継地として栄えた敦賀で昆布商として明治4年(1871)創業。以来、良質の天然昆布の仕入れから、昆布の手すき加工といった手仕事などを今に継承し、昆布の文化を国内外に発信している。ご家庭用のみならずギフト用にもぴったり。
江戸後期~明治中期にかけて、日本海・瀬戸内海・上方の諸地域間の物資の物流や、文化の交流に重要な役割を果たした“北前船”をテーマにした資料館。全盛期には約30余隻を有した繁栄ぶりは、上方風切妻造瓦葺二階建の邸宅をはじめ、贅を尽くした西洋館などに見ることができる。
北陸有数の北前船主の邸宅。海に向かって二階建ての主屋と、望楼を持つ三階建ての新座敷を建てている。趣向を凝らした繊細な意匠の三階建ての新座敷など、近代的な形式や造形が取り入れられた和風建築として高く評価され、2015年7月8日に国の重要文化財に指定された。
“炊”とは、北前船の中で賄いを担当していた船員のこと。「炊(かしき)の会」は、北前船主の館・右近家の離れを改修して造られた「どっときたまえ」にて開催される食事会。地元の若者(民宿・レストラン経営)が、北前船で運ばれた食材や、地元の旬の幸を、腕によりをかけて提供する。
格子戸が連なり、古い町家が並ぶ通りには、町の繁栄を今に伝える江戸時代の「旧岸名家」、そして大正の近代文化遺産「旧森田銀行本店」などの文化財も並び、今も三国湊の風情ある街並みが残る。歴史散策で小腹が空いたら、「三国バーガー」なども三国湊座で味わってみては。
大山咋命(おおやまくいのみこと)と継体天皇を祀った神社で、江戸中期から続く三国祭もこの神社の祭礼として行われている。随身門と呼ばれる重厚な楼門は有力な北前船船主でもあった町衆が寄進したもの。
1375年に創建された三国町最古の寺院。建造物群は北前船船主を多く輩出した新保地区の有力者が北前船交易で得た財をもとに寄進した。また、昭和4年に日本名勝庭園として福井県で最初の指定を受けた「山水庭園」は、四季を通じて様々に彩られる日本庭園の素晴らしさを体感できる。
築100年以上、2005年には有形文化財にも登録されている、風情ある建物で日本料理が堪能できる老舗料亭。三国港で水揚げされた越前がにや、甘えびなどを使った会席料理やランチを楽しめる。なかでも、三国産甘えびを使用した「甘えび天丼」はリピーターが多く人気も高い。
伝統的な町並みが残る三丁町で、明治初期から平成元年まで営業していた料亭「蓬嶋楼」。現在は建物の一部が一般公開されており、多くの政財界の人々が訪れた料亭時代と変わらない状態で見ることができる。足を踏み入れると伝統的な建築や建具のデザイン、贅を尽くした調度品など、目にするものから当時の華やかさが伝わってくるだろう。
旭座は明治期に建てられた木造の芝居小屋。平屋建てながら、内部には舞台、2階桟敷席などをもち、県内唯一、戦前の芝居小屋の系譜を引く貴重な建物である。老朽化が激しかったため、「小浜市まちの駅」の中心的施設として現在地に移転復原され、現役の芝居小屋として公演なども企画されている。
旧料亭酔月は、明治初期に建てられ、昭和の時代まで茶屋町の中核的な料亭として存続した三丁町の代表的な建築物。内部の建具なども意匠や細工の質が高く、当時の華やかな茶屋文化を偲ぶことができる。現在は、「町並みと食の館」として公開され、明治時代にタイムスリップしたような雰囲気の中、御食国の「癒しの食」を楽しむことができる。