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1500年以上の歴史があり、奈良時代から仏教で必要となる写経用紙を漉き始めたとされている。越前市の今立地区は現在も70社以上の製紙会社が集中する和紙の産地であり、全国で唯一の紙祖神をまつる岡太神社・大瀧神社があるのもこの地域。品質の高さから日本最初の紙幣用紙にも採用されており、現在の紙幣にも使われる「黒透かし」の技法はもともと「越前和紙」に伝わる技法が採用されたものである。
「越前漆器」の起源は6世紀頃まで遡り、継体天皇が幼少の頃の御冠の塗り替えを河和田の塗り師に命じたところ、修理した冠とともに献上された黒塗の食器の見事な光沢に深く感銘され、漆器づくりを奨励されたのが始まりだと伝えられている。堅牢な下地づくりに塗重ねた光沢と優雅なつくりには定評があり、主産地の名をとり河和田塗としても知られている。
「越前焼」は日本六古窯の一つであり、その誕生は今から約850年前平安末期にまで遡る。現在までに発見された古窯は200基以上。平安時代末期から江戸時代にかけてこれら大規模な古窯では、壺・甕・すり鉢の3器種を中心とした生活雑器が焼かれていたとされる。温かみのある土と灰釉の味わいを持った民芸的な美しさは、多くの人々に愛好され続けており、また近年では若手作家による新たな風も起き始めている。
700年続く伝統は一人の刀匠から始まった。京都の刀匠であった千代鶴国安が、刀剣制作に適する水を求め現在の越前市に来住。そこで付近の農民たちのために鎌を作ったことが起源と伝えられている。昭和54年(1979)には刃物産地として全国で最初に伝統的工芸品に指定。現在も古来の技術を守りながら、「越前打刃物」は暮らしの中で用途に応じた機能性や形を追求し、より使いやすく、より美しく進化を続けている。
江戸時代後期に発祥した「越前箪笥」。その特徴は、無垢材を使い、ほぞ接ぎ技術を用いるため釘を使わず、表面は漆塗りで、飾り金具には越前打刃物の技術で作られた鉄製のものを使っているところにある。平成25年(2013)には経済産業大臣指定伝統的工芸品の指定も受けている。現在は婚礼用よりも調度品として使われることが多くなったが、漆塗りの艶やかな光沢や高い耐久性といった独特の風合いや品質は今も変わらず継承されている。
鯖江のメガネフレーム製造は、明治38年(1905)に増永五左衛門が農閑期の副業として眼鏡枠作りに着目し、東京や大阪から招いた職人が弟子に製造技術を伝えたことがルーツとされる。「帳場」と呼ばれる職人グループがしのぎを削りあうことで分業独立が進み、現在のような日本一のシェアを誇る一大産地へと成長していった。産地ブランド「THE291」の誕生など、現在もさらなる発展に向け、作る産地から売る産地への転換も進められている。
江戸時代初期に小浜の豪商が海外から入手した漆塗盆を、漆塗職人である松浦三十郎が模して作ったのが始まり。藩主からの手厚い保護のもと、卵殻金銀箔塗押の技法を完成させ「若狭塗」と命名する。漆を幾重にも塗り重ねては研ぐという“研ぎ出し”技法で、数か月を要して作られる「若狭塗」には、独特の重厚感と風格が漂う。その中でも若狭塗箸は国内生産塗箸の80%以上のシェアを占めており、多くの著名人にも贈呈されている。
「若狭めのう」は奈良時代に鰐族という渡来人が若狭に来て玉をつくることを仕事としたことが始まり。現在の美術工芸品としての彫刻の技術は明治にはいって中川清助により創始されたものである。古くからめのうは七宝の一つに数えられ、優雅で透きとおるような色調は人々の心を魅了している。焼き入れにより美しく発色させた原石を、丹念に磨き上げることで生まれる繊細な細工は宝石工芸の最高峰と呼ぶにふさわしい。